難しいに軸を置くか現状を変えたいに軸を置くか?

今日も雪で寒いですね。鉄道労働者は、休みでも、寒くても、雪害対策に呼び出されます。

公共に関わる労働者は、何もない時より緊急時の力が問われます。その力は、日々の積み重ねや経験で培われるのです。

緊急時に対応した先輩の経験は、今を生き、これからを担う後輩たちに引き継がれてこそ本当に生きます。

だから、「昔はこうだった。」と自分の経験を自慢するだけで、今の青年たちの力にならなければ意味の無い経験になってしまいます。

これからの青年たちに、自分たちの経験の最も大切なことを引き継いでもらう。継承されなければ、過去の、死んだ経験にしかならないのです。

この当たり前で、厳しい現実に労働者こそ立たなければならないと思います。


(これは昨日。筑波山を背景に、雪の中を走る常磐線の657系特急「ひたち号」です。国分勝之撮影)

常磐線の運転士と車掌の出発前の点呼が、同じ当直助役から、場合によっては何人も一斉に受けていることを、みなさんは知っていますか?

運転士と車掌は職種が違い、責任も違います。そして、担当する行路もまちまちです。
 
例えばある運輸区の運転士の出勤時間は電車に乗り込む26分前の時刻と決められています。

運転士はその時刻までに制服に着替えて仕事できる準備を整え、その日の運転に必要な達示や情報などを乗務手帳に記載して準備します。その後、出勤時間になったら助役と出発点呼を行うのです。



出発点呼はアルコール検知器による検査から始まり、その日乗務する行路(つまり担当する列車)がまちがっていないか乗務員と当直助役が相互に確認し、その他安全に運転するために必要な情報を確認します。
時間帯によっては何人もの乗務員の点呼時間が重なることもあり、4人も5人も一度に、しかも運転士と車掌が、いっしょに点呼を受けることもあります。1人ずつ順番に行っていたのでは列車に乗り込む時間に間に合わなくなりかねないからです。

( 「勝田区の485ボンネット車最後の勇姿。自走して廃車回送する仕事をこの日が最後の乗務となる大先輩が運転しました。1998.12水戸線新治付近。国分勝之撮影。)

国鉄時代は、当然ながら一対一で一つひとつしっかりと点呼が行われていました。仮に助役が間違ったことを言えば運転士に怒鳴りつけられることもありました。それほど点呼は、真剣な場としてありました。

ですから、複数をいっぺんに点呼するなどということは、乗客の命を預かる者としてあり得ないことだったのです。

JRになって電車区と車掌区が統合され「運輸区」にされた時から、この様な点呼がまかり通る様になりました。

運転士も車掌も、倒れそうになる行路を強制され、事故が起きればその責任を厳しく追及されます。しかし、会社側の責任で行う業務指示の場は、とことんいい加減に扱われているのです。

まずここから変えるべきではないでしょうか?

もし、運転士、車掌として仕事に誇りを持つならば、会社の、あるいは管理者のいい加減さを曖昧にしてはならないと思います。

「変えたいけど、難しい。」と思うのか「難しいけど、変えたい。」と考えるのか。困難に軸を置くか、変えように軸を置くのかの選択の中に、自分自身を生きるかどうかの分岐点があるのでは無いでしょうか?

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鉄道労働者
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【国鉄水戸動力車労働組合】
1986年結成。JR東日本・JR貨物とその関連会社の労働者で組織する労働組合です。

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