残された命を生きる(動労水戸の歴史と転換)

2011年3月11日の東日本大震災と原発事故は、多くの死者と向き合うことを通して、残された命の意味、自分がこれからどう生きるかを一人ひとりに問うことになったと思います。

人はどの年代でも、これからどう生きるかを考え、選択しながら生きているのだと思います。そして、自分が生きることに深く影響した人、心を通わせた人の死は、自分の存在と生き方を深く問い直すきっかけになります。

人間の命には限りがあります。だから、生きることが輝く。そして、死をしっかり見つめることは、今生きる他者と共に自分を精一杯生きることなのだと思います。


(演説中の中野洋前動労千葉委員長)

今の青年たちには、ほとんど知られていませんがJR東労組を作った松崎明と、動労千葉を作った中野洋という人は、かつて国鉄動力車労働組合(動労)の東京地本の青年部長、千葉地本の青年部長としてお互いに訪ね会う関係でした。

その二人が、国鉄の労働組合がどうあるべきかをめぐってたもとを分かって行きました。松崎明は、半ば労働者にも労働運動にも失望しながら会社の力を背景にした労働運動に大胆に舵を切りました。

中野洋は、どんなに困難でも労働者を信頼し、会社とぶつかりながら強力な労働組合を作ることで労働者階級としての連帯を広げて行く。

簡単に言えば会社・資本に対して、労働組合がどういう立場を取るかという点で別れたのです。それは、そのまま労働者のリーダーとしてどう生きるか?の選択としてありました。


(中野洋前動労千葉委員長が率いた闘い)

中野洋は、労働者の人間的関係を大切にした上で、労働組合に取って時代認識と路線が大切だと語りました。それから自分の頭で考えることの大切さです。

時代認識とか路線と言っても、あくまで職場も社会も変える力があるのは労働者。だから、労働者をやる気にさせられないのもダメだと、何より労働者の意見を聞き、分かりやすい話をすることに努めていました。

そして、動労千葉の組合員だけでなく動労水戸の組合員を信頼し、愛してくれました。

中野洋は、2010年3月4日に亡くなりました。その中野洋と対立しながらJR東労組を立ち上げた松崎明も、中野洋への追悼文を出し、その年に亡くなっています。


(動労水戸の歴史を引き継ぐ青年部照沼靖功君)

動労水戸は、中野洋と生きたことを引き継いで2011年3・11からの福島第一原発事故と被曝強制との闘いに猛然と入りました。

それは、国鉄労働運動からJR移行後の30年間の闘いの全てをかけた、職場からの闘いでした。

この30年間に、職場で労働者に通用しない労働組合や政治勢力が影響力を失って来ました。

動労水戸は、職場の労働者・青年を信頼し、職場を土台に全く新たな時代と情勢に立ち向かっています。

しかし、それは仲間の死と向き合い、その思いを胸に、今生きる一人ひとりを大切にすることでみんなの心を動かして行く。そう言う時代が来たと考えてのことです。

自分たちの利益や目的のために、人を見る。利用する。駒にする。労働者も青年たちも、そう言う虚偽にとことんウンザリしている。一切の虚構が通用しない時代に入っている。

それが時代の本質だと考えています。

3月4日、動労水戸結成の原因を作った中野洋の命日は、奇しくも動労水戸青年部照沼靖功君の誕生日でもあります。

新しい時代と局面に通用する労働組合を、みなさんと一緒に作りたいと思います。

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プロフィール

HN:
動労水戸
性別:
非公開
職業:
鉄道労働者
自己紹介:
【国鉄水戸動力車労働組合】
1986年結成。JR東日本・JR貨物とその関連会社の労働者で組織する労働組合です。

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