生きることは「限りなき探究」と挑戦じゃないか

みなさん今日もお疲れ様です。

川崎殺傷事件で、引きこもりが改めてクローズアップされ、今度は引きこもりの息子を殺害する悲惨な事件が起きました。父親が国の役人だったために、より大きな衝撃を与えました。

国鉄分割民営化からの1990年代から、失敗も含めた経験を積み、地道に仕事を成し遂げて行くそれまでの労働が軽視され、サービス産業が儲けの中心になって行きます。

2008年のリーマンブラザーズの破綻がもたらした世界的金融危機は、より一層の株価史上主義=労働を低め雇用すなわち就職状況を激変させていきました。

フリーター、派遣、パート労働が青年たちの大半を占めていくことになりました。教育も、就職活動や資格取得も金儲けの場にされ、そこで語られる理想や夢と労働現場の現実がどんどん合わなくなりました。

私たち労働者の現実は、求職したり、仕事をしているその場にあるのに、その場の現実は問題にされることがありません。逆に「あれが足りない、これが欠けている」と現実を分かりもしないくせに説教が語られる。

夢は、ヒーローやヒロインの中にだけあって自分の生きている現実なんかに夢も希望もない。

青年たちには、引きこもる理由があるのではないですか?そして、それは日本の青年だけでなく「市場原理」で、人間自身を物の様に扱い、搾取して来た世界の国々の青年たちに共通しているのです。



  (現在は廃車になった。国鉄型583とK30・485です。583は国鉄時代寝台特急「ゆうづる」として常磐線も走っていました。)

北朝鮮や中国を見るまでもなく、労働者は社会主義を志向していません。理想や正義を追い求めさせられ、金儲けの道具にされる資本主義か、党・国家支配の絶対化かなんてどちらもまっぴらごめんなのは当たり前です。

しかし、資本主義というのは、人間を完璧な搾取の素材、つまり物にして行くシステムです。だから、その到達点では人間は生きられないので人類は滅亡する。 

そう言う矛盾と限界を持っています。では、私たちが生きる基盤としての確かな実体とはどこにあるのでしょうか?

仕事を通して他の人と関わる中で生きていること。労働を通して社会に関わっていることではないでしょうか?


 (国鉄時代「休養室」だった動労水戸事務所。古い建物ですが、水戸駅が良く見えます。)

資本主義社会だから、基本的に会社に就職しないと仕事ができないし、生活ができません。それが人に取って仕事が何か、人と人との関係は何かを歪めているのです。

だから、人として生きること、人と人との本当の関係は会社や組織の支配から離れ、本質から見ることで見えてくるのだと思います。

仕事への姿勢が、仲間への姿勢であり、実は人への向き合い方そのものであること。そして、困難に立ち向かい仲間と共に生きることを貫くことが、他の人々の生きる力や希望になる。

希望や展望は、美しく飾られた言葉にあるのではなく目の前の、周りの労働者が輝いて生きていることで生み出されるのです。

だから労働者が輝かない社会にも、会社にも、どのような組織にも未来はないのです。

それが、動労水戸が1970年代後半から今日まで、時代と格闘し、闘い抜いて来たひとつの結論だと思います。


 (1969年、その時代の先端だったジャズのひとつミロスラフ・ビトウスの「限りなき探究」。青年も労働者も輝いていた。)

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プロフィール

HN:
動労水戸
性別:
非公開
職業:
鉄道労働者
自己紹介:
【国鉄水戸動力車労働組合】
1986年結成。JR東日本・JR貨物とその関連会社の労働者で組織する労働組合です。

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