痛みのある失敗とK544の被爆労働許否

「失敗から学ぶことの大切さ」と言われますが、この国では失敗した人に厳しいですね。

失敗した人の責任にすれば、安泰な人たちがいるからです。

戦争を始めた責任、そして負けた責任を誰かに取らせて安泰だった人たちが日本の政治を支配して来なかったでしょうか?

これに対し労働者は、日々の仕事の責任を取りながら生きています。


 (ありし日の415系の検査)

動労水戸は、2011年3月11日の大震災と福島第一原発事故で、広野に放置されたK544の「安全確認無き運用」に反対しました。

当時は「奇跡の電車」の運用に反対しているのはおかしい、K544がかわいそうだ。という意見もありました。

しかし、私たちは労働者と労働組合の責任において怯まず安全確認を求めたのです。

勝田車両センターでは、電車の交番検査などの定期検査や臨時の検査、修繕などを行っています。


 (交番検査が行われる検修庫。)

415系は廃車になりましたが、国鉄時代からの古い車両は、検査も大変でした。交直流電車は、屋根上も床下も器機が多く複雑です。

しかも夏場、検修庫の中は40度にもなります。

制御器(パワーコントロールユニット)担当者は「PC屋」と言われていました。絶縁検査(車体への漏電を防ぐ検査)のための碍子研きから始り、制御器の接点の点検と研きまで休み無く動くことになります。

415系は、モーターの配列と抵抗で制御します。その制御をカムを回しながら変えて行きます。

そのカムを回す小さなモーターがあり、そのモーターは板バネで押さえられたカーボンブラシから電源を得ます。

ある時、あまりに暑くそのカーボンブラシの点検を「大丈夫だろう」とはしょってしまいました。

その電車は、検査から一月ほど経って線路上で動けなくなりました。その原因を一緒に究明して行く中で、自分の検査ミスにあることが分かりました。

バネで押さえられているから「大丈夫だろう」という甘さが故障事故を生んだのです。深い後悔と自責の思いが、痛みと共に刻まれました。大変な失敗です。

そこからより厳しく、自分を見つめる様になり、当たり前の様に仕事やって来た仲間の苦労や凄さも分かる様になったのです。


 (勝田車両センターの夕暮れ。右側が検修庫です。)

K544。「安全だ!」「放射線測定の必要は無い」と言い張る会社に対して「安全を確認しないなら検査をやるべきでない」と毎日点呼で追求し、ストライキを構えました。

職場のみんなの声に押されて、ようやく放射線を測定した結果、抵抗器を冷やすための送風機の外気取り入れ口のフィルターから空間線量の3倍に及ぶ線量が検出されました。

「PC屋」が担当して、高圧エアで付いた埃を吹き飛ばす部分でした。担当者はその埃を吸う、そして吹き飛ばされた埃は周辺に拡散します。

JRは、そのフィルターを密かに外し隠してしまいました。

根拠無き安全宣言を行い、不都合な真実は隠す会社と国。しかし、私たち労働者が失敗から学んでいることは「この程度で良い。」と言うことは無いと言うことです。

自分に厳しいからこそ言えることがある。言うべきことがある。そう言うことだと思います。

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動労水戸
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鉄道労働者
自己紹介:
【国鉄水戸動力車労働組合】
1986年結成。JR東日本・JR貨物とその関連会社の労働者で組織する労働組合です。

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