国鉄時代の駅そして踏切り番ってどうだった?

JRになって、いつの間にか「乗客」が「お客様」と呼び方が変わりました。

利益第一だから、会社が本心で言っているかは別です。乗客の安全は、神様頼みという社長もいましたからね。

国鉄の分割民営化から、お金を出す奴が偉いことになった。これを「意識改革」と呼んだ。

そうすることで一番変わったのが、仕事をして金をもらう側が「しもべ」になってしまったことです。

鉄道労働者は、メイドの仕事ではないのに、いつの間にか「お客様」や「会社」など金を出す人の「しもべ」にされてしまった。

今から40年前。JRが国鉄だった時。駅も国民の共有財産で、地域住民の足と安全を守る駅長も駅員も尊敬されていたのです。

お盆や暮れには、駅前商店会などからたくさんのお中元やお歳暮が届けられました。


(昔の踏切小屋)

踏み切り番もいて、本線と入れ換えの切換をしたり、踏切内立ち入りの安全確認をしていました。

大変な仕事だったけど、タバコや飲料を差し入れてくれる人がいました。

「しもべ」どころか地域住民や乗客の共同性の中に駅があり踏切の仕事があった。要するに共存共栄の関係だったのです。


(国鉄の姿を残す磐東線小川郷駅)


いつの間にか、金をもっているやつや金を払うやつが偉くされて、仕事を通して人と向き合う労働者が「しもべ」とされて下におかれる様になってしまいました。

かつては金を持っているやつが金を出すのは当たり前だった。
今は金の無いやつが絞り取られています。
ずいぶん変わりました。

昔が良かったと言う話ではありません。毎日「お客様」なんて言わされているうちに、人と人が向き合う関係がおかしくされていないのか?

まともな人間関係を、しっかり取り戻さないければならないのではないか。

それが自分自身を生きる土台ではないかと思うのです。

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動労水戸
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非公開
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鉄道労働者
自己紹介:
【国鉄水戸動力車労働組合】
1986年結成。JR東日本・JR貨物とその関連会社の労働者で組織する労働組合です。

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