ふだんは気にかけませんが、いざとなるとみなさんに取って実に重要な電車機器があります。
中距離電車のトイレです。使用頻度が高い分、故障することも多いのですが例えば531系だとユニットまるごと交換することが多いのです。
炎天下で勝田駅構内に留置された車両のトイレ交換に二人で行ったことがあります。
メインで作業するのも動労水戸組合員でした。
高校を出て国鉄に就職したら、5年で別会社になると勝手に決められました。国鉄最後の採用者です。
就職する時にそんな話は聞いていない。国鉄労働者はたるんでいると、それまであった権利をどんどん奪われました。
たるんでいるも何も、国鉄に入ったばかりでした。運転士試験に合格したのに、発令もお預けになりました。
「ふざけるんじゃねー!」と動労水戸結成に加わったら、水戸から真岡に飛ばされ、新会社になったら土浦のベンディング(飲料の自販機管理)に飛ばされました。
国鉄分割民営化反対を貫き、動労水戸に所属する組合員には徹底した見せしめが行われ、脱退した者から運転士に登用する。
昇進試験は、名前を書いたら落とされると言われました。その組合員は20代から40代まで20年間鉄道の仕事から外され40を過ぎてからベンディング廃止で、勝田車両センターに配属されました。
それから20代の青年に仕事を教わり、検査を習得したのです。
決して器用な人でないと思います。しかし、決して投げない。決して負けない。
悔しさや怒りを、自分の体に刻み込みながら不屈にやりとげる。
黄色い汚物が吸い込まれないまま残る便器に、布をかけて正面のビスを外して行く。ビスが便器に入れば、さらに動作不良をもたらすからです。
エアや水のコックを切り、パイプを手探りで外して行く。その作業をやり易くするために便器自体を持ち上げるサポートをする。
サポートをする私は、勝田駅売店廃止で、彼の3年後に車両センターに配属になりました。
職場をバラバラにされて25年ぶりに、同じ職場で同じ仕事をする喜び。その幸福感に比べれば汚物などどうということはありませんでした。
その組合員は、最高裁で勝ち車両センターの構内運転士になり、さらに50才を過ぎて大子で水郡線の本線運転士になったのです。
一つひとつが、とてつもない試練であり挑戦でした。それを自分の身に刻み込みながら生き抜いて来ました。
動労水戸という労働組合は、一人ひとりの組合員が苦労を刻み込み、涙と笑いを共にして支え合って来た労働組合です。
ですから、仲間を低めることを絶対許さない労働組合と言えます。