福島第一原発事故から15年目の3・11を迎えようとしています。私たちは今、通常の生活を取り戻したかのように思ってしまいますが、被災された方々は今なお大変な苦労を背負わされていると思います。
この原発事故を忘れずに、国や電力会社に責任を取らせるために、3月11日13時から郡山市労働福祉会館で、「3・11ふくしま集会」が開催されます。
この集会を前に、動労水戸では2月4日に東京・夢の島にある「第五福竜丸展示館」の見学会を行いました。それは1954年3月1日に第五福竜丸が被曝させられたビキニ事件こそ、日本の原発政策の始まりだと考えたからです。
ビキニ事件は、南太平洋マーシャル諸島ビキニ環礁でアメリカ軍が水爆実験を行い、マーシャル諸島の人たちや多くの船や乗組員が被曝させられた事件です。第五福竜丸も「死の灰」を浴びました。多くの魚も放射能に汚染され、放射能雨で日本の農作物からも放射能が検出されました。
第五福竜丸の乗組員はその後、急性放射能症によって過酷な人生を強制されました。さらには被曝に対する差別やアメリカ政府からの「見舞金」に対する妬みをうけ、二重の苦しみを受けたのです。こうしたことは、福島第一原発事故で被災した方々と同じだったのではないでしょうか。
(第五福竜丸の歴史を伝える絵本)
(乗組員の大石又七さんは、生涯を通してビキニ事件の真実を伝えています)
アメリカ政府は水爆実験による被曝の責任を認めず、また日本政府も日米関係を維持するために、1955年1月に「見舞金」を受け取ることで政治決着させました。事件からわずか9ヶ月のことです。ビキニ事件を終わったことにするためです。
一方で日米政府は1955年に原子力協定を結び、1956年にはアメリカからの原子炉が茨城県東海村に送られてきました。これは「核を平和利用」を口実にしたもので、これを皮切りに日本中に原発政策が拡大していきました。
(現在の日本政府は原発事故を反省することなく、もっと原発を動かそうとしています)
このビキニ事件に対して、世界中で6億7千万名もの署名運動がなされました。その運動の中で日本では、「核兵器と人類は共存できない」のスローガンのもと、思想信条を超えて原水爆禁止世界大会が、1955年に広島で実現しました。核兵器や原発に反対する想いは、今なお様々な運動に引き継がれていると思います。
(アメリカの核実験による被害を証明した人たちの運動を伝えるドキュメンタリー映画「サイレント・フォール・アウト」。この映画を製作した伊東英明監督は、20年にわたって被曝問題を追い続けています)
見学会に参加した組合員からは、「広島・長崎―第五福竜丸―3・11原発事故はつながっている。放射能を生み出す原発と核を、もう一度考えないといけない」との感想がありました。人類も地球も放射能まみれにする原発も核兵器も無くしていくために、みんなの力で大きな運動をつくっていきたいと思います。
3・11ふくしま集会で、みんなで声を上げましょう!すべての原発の再稼働を止めましょう!