動労水戸は8月2日、水郡線の倒木問題での水戸支社交渉を行いました。
これは沿線の立木の伐採を乗務員が再三要求してきたにも関わらず、放置され倒れた木に衝突した問題です。
水戸支社は交渉の冒頭で「このような事態をお詫びする」としました。しかし、結局は「管理はやっている。全部は見れない。自然災害は難しい」と、開き直りに終始したのです。
しかし交渉の中で、乗務員による現場の確認は、「列車に乗っての確認だから大丈夫と思った」などと驚くべきものです。
一体誰の申告なら動くのでしょう?山の手線の電化柱倒壊の時の教訓はどこに行ったのでしょうか?
実際、この交渉の翌日3日には、磐城塙-磐城石井間で倒木との倒木事故があり、さらに4日にも同区間でまたも倒木事故が発生しているのです。
(昨年の台風で折れた磐城棚倉駅付近の立ち木です。木が割けないようにワイヤーで縛ったままになっています。)昨年10月の台風による影響がまだ残っているのだと考えられます。
労働組合として乗客と乗務員の命を守るために、さらに厳しく会社としての対応を要求していかなければなりません。
鉄道の仕事は、駅員や乗務員などの利用者に見える仕事ばかりではありません。
列車がまともに走るためには、設備や車両検修の労働者の努力が絶対に必要です。私たちは、こうした職場の労働者も、一緒に乗客の安全を守っているのです。そこをつかんで欲しいと思います。
JR東日本が「変革2027」というさらに激しい合理化を進めているなかで、自分の勤務評価のために安全も仲間も切り捨て、私たちの仕事の意味・生きる意味を捨ててしまうことを、なによりも危惧しています。
JRに限らず、労働者は自分の労働の意味を改めて考えて見る時が来ている様に思います。
仕事も仲間もどうでもよいという「勤務評価」とは一体なんなのでしょう。
JRのみならず、労働者の労働は一人では完結することはありません。みんながつながってこそ社会は動くのです。勤務評価は、そこを根本から破壊しているのです。昇進するなら、仲間と一緒に昇進しよう。
安全を守るのも一緒に守ろう!
私たちはその様に生きて来ました。