みなさんおはようございます。以前「木道」を歩くことの良さを伝えさせていただきました。木の一生は人間社会を生き抜く私たちに似ていると思います。環境が良ければ早く太るし大きくなる。しかし、厳しい条件を生き抜いて来たものにはかなわない。一本一本に癖があり、個性がある。その癖を生かすことで、例えば法隆寺などは1300年も保たれています。しかし、効率第一主義は強い個性を持ったものを障害物として排除します。利益や効率を第一に置く社会や生き方に本当の強さは無いのだと思います。安ければ良い。壊れたら取り換える。人間は、その様なものではないからです。
(車両センターの体操風景。JRの労働者も個性的です。同じ人はいません。)東労組に残り配置転換にあった青年から動労水戸組合員にメールがありました。
「いつもブログ拝見させてもらっております。
こないだトイレ交換のブログを見ていたら、涙ぐんでしまいました。
私も労働組合を通じて得た仲間とまた一緒に働きたいと思いますし、毎日のように、LINEをしています。」とのことでした。就業規則さえ見せられない会社を、労働組合で変えようといわきユニオンに入ったバスの運転手さんにも直ちに乗務停止がかけられました。私たち労働者は、同じことと闘っています。
(電車もバスも、当たり前の安全のためにどれ程の注意と努力が払われていることでしょう。)やはりふだんは気にかけませんが、バスの運転手も命を預かっています。事故になった時だけ問題にされますが、日々どの様に安全が守られていることでしょう。「運転にはこれで良いということが無い。大丈夫と思ったらダメなんだ。」こうして日々の努力を積み重ねているのです。その労働者を、ものと同じ様に「安く、簡単に捨てられて、取り換えれば良い」という企業も社会も、そして組織も全て間違っていると思いませんか?人間が生きること、存在をかけた闘いだからこそ私たちは引けない。人間の本当の強さとは何か?生きる意味は何か?を問いながら、日々これで良いということが無いのも労働組合なのかも知れません。だからこそ、仲間と寄り添いながら心が通じる一瞬の輝きの中に無上の喜びがあるのだと思います。