被害にあわれた皆様には心からのお見舞いを申し上げるとともに、一刻も早い復旧を念願しております。
みんなが協力して、生き抜いていきましょう。
私たちの働くJRでも大きな被害が出てしまいました。
その中で水戸支社の水郡線では、3ヶ所の橋梁(鉄橋)が破壊されてしまいました。1ヶ所は傾き、2ヶ所の橋梁が流されてしまいました。これにより水郡線は、水戸駅-西金駅、上小川駅-袋田駅、常陸大子駅-磐城浅川駅、里白石駅-郡山駅の、4分割の状況になってしまいました。
(JR水郡線・袋田–常陸大子で流された「第6久慈川橋梁」)
今後の復旧には、協力会社の労働者も一緒に懸命の作業にあたっていくでしょうが、大変な時間がかかると思います。袋田駅近くの「第6久慈川橋梁」では、橋脚までなぎ倒されています。自然の猛威をまざまざと見せつけられた思いです。
それでも私たちの鉄道労働者は、地域住民の生活の足である鉄道を、必ず復活させていきます。
今日までの社会の歴史は、労働者の労働が作り上げてきた歴史です。どんな権力者が現れようと、社会を発展させてきたのは世界中の労働者です。
動労水戸もその一員として、くじけず、あきらめずに、力を合わせて働いていきたいと思っています。
人の命を奪って金持ちが益々肥え太るための消費税は、将来のためには無くさなければならないと思います。
昨日9月30日は、日本初の被曝死亡事故となった、東海村のJCO臨界事故から20年になります。
この事故では、作業員3人が被曝し、うち2人が急性放射線症で亡くなられました。その他に、救急隊員や周辺住民ら約660人が被曝させられました。
9月29日には東海村内各地で集会が開催され、動労水戸も参加してきました。
(市民団体主催の集会&デモ)
JCO事故は、核燃料を製造する株式会社JCOの東海事業所で発生した臨界事故です。日本で初めて労働者の大量被曝と被曝者の死亡、周辺住民の被曝、半径10㎞の住民の屋内退避などを引き起こした重大な事故でした。
動労水戸組合員も事故当時、東海駅前のベンディング事業所や、勝田車両センター、勝田駅売店に勤務していました。
この当時は国も自治体も、さらにJRもこうした事故への対応が考えられていなかったため、その場での屋内退避を強いられました。周辺住民の被曝は、このために引き起こされたものでした。
当時発表されたイギリスの自然科学誌「ネイチャー」では、「日本政府は、十分なスタッフと専門家のいる有効な規制機関を作れないようだ。原子力安全委員会は、パートタイムの学術専門家の集団で、専門性の欠けた少数の官僚により作成された資料に安直に承認を与える」と批判されました。
(事故を伝える当時の地元紙)
このJCO事故20年の時に、関西電力と高浜町元助役の収賄事件が明らかになったことは、どう見るべきでしょうか?
福島第1原発事故で問題になった「原子力マフィア」がいまだに存在し、政府や官僚の言いなりの安全委員会や規制委員会はそのままです。
東海村や福島県の現実は、国策による国民の犠牲です。これ以上の犠牲が出されないよう、労働者民衆の運動で命を守っていきましょう。
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