尼崎事故から14年目の4月25日に

みなさまおはようございます。

今日は2005年4月25日、JR西日本福知山線脱線事故(尼崎事故)から14年目の日ですね。乗務員乗客107名全員のご冥福をお祈りすると共に、JR東日本の乗務労働の軽視による命と安全の軽視と厳しく対決することを改めて誓いたいと思います。

お気づきかと思いますが、報道では「乗客106人の犠牲者を出した…」とされ高見運転士は除害されます。

https://news.yahoo.co.jp/pickup/6321457

これは、事故当初からJR西日本が高見運転士個人に責任を負わせるために犠牲者の数から外したことに始まっています。

高見運転士は、事故以前にミスをして乗務を外され「日勤教育」でその責任を問い詰められていました。こう言う立場に立った時の辛さは、経験者なら誰でも分かります。責める方は相手の気持ちなど無関係に、問い詰めます。

まして昨日もブログに出しましたが、自分のことしか考えない無責任な現場管理者がミスの責任を問い詰めることになります。だから、冷静に振り返るどころか精神的に追い詰められるだけなのです。


  (美しい空や自然を亡き人たちと一緒に見ませんか?国分勝之撮影)


とことん追い詰められて、自信を無くしギリギリの精神状態になると益々ミスを起こします。そしてそのミスが、さらに限界まで追い詰める。

しかも福知山線は、過密線区であるのに安全への投資を怠り旧型のATS(保安装置)でした。急な曲線も放置したままでした。

そこにオーバーランのミスを取り返すために、制限速度を遥かに超える速度で突入してしまったのです。

さて、事故の原因は高見運転士にあるのか?その責任もまた高見運転士一人に負わせて済むものなのか?

少なくとも運転士をしている人なら、誰しもが分かることではないでしょうか?

「ジョブローテーション」についてJR東日本の管理者は「2~3年でもプロだから人を指導できる」と言いました。苦しい時、困った時の最後の支えは同僚であり、良き先輩の存在です。そんなものは必要無いというのです。

監視カメラで話もできず、10年毎に仲間が振り分けられる。管理者は上を見て自分のことしか考えない。悩みを相談できる人もいない。

そんな職場から、青年たちが逃げ出すのは当たり前のことではないでしょうか?


  (春の水郡線。国分勝之撮影)


尼崎事故の犠牲者の遺族にお会いしたことがあります。娘を亡くされたお母さんでした。JR西日本の責任を追求する裁判に行く時「娘の遺影が、お母さんはお金のために裁判に行くの?と聞くのですよ。」と言われていました。最愛の娘が生きた意味、若くして事故で亡くなった意味を深い悲しみの中で追い求めていました。

彼女は、高見運転士の責任だなどと思っていませんでした。高見運転士も娘さんも、JR西日本の犠牲者であり、JR西日本の社会的責任を追求していたのです。

昨日は、マラソンの名監督小出さんが亡くなりました。なるほどと思ったことがあります。彼は人の才能を見て、信じて、励まし続けました。そして「故障には全て意味がある。意味の無いことは無いのだ。」と言ったそうです。

人を育て、伸ばして結果を出して来た人です。全てに意味があるって凄い言葉だと思いませんか?

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鉄道労働者
自己紹介:
【国鉄水戸動力車労働組合】
1986年結成。JR東日本・JR貨物とその関連会社の労働者で組織する労働組合です。

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