9・27三里塚全国総決起集会に参加してきました

 9月27日、昨年の台風や新型コロナウイルスの影響で約一年半ぶりに三里塚全国総決起集会が開催されました。


 成田空港建設は朝鮮戦争で羽田空港が満杯になり巨大な空港が必要になり戦争の出撃拠点として構想されました。
 ある日突然自分の家屋・田畑が取り上げられる。先祖代々受け継がれ自分の生きがいとして農業を営み、美味しい食材を食べてもらいたい。そんな当たり前に生き生活する事が出来なくなる。
 三里塚の農民たちは戦争のために使われる空港建設に反対してたかかってきました。

 私たち動労水戸もごく普通に就職し鉄道の職場で仕事をしてきました。「分割・民営化」に反対して動労千葉につづけと動労水戸を結成しました。結果、10数ヶ所にバラバラにされ鉄道の事業とは関係の無い関連事業(売店、蕎麦屋、ベンディング事業所等)に強制配転させられました。

 おかしい事はおかしいと言える社会、正しい事がまかり通る社会、そのような世の中になってほしい。だから三里塚闘争は全国から労働者や市民団体など多くの人が集まってくるのだと考えます。
 

 「今、成田空港は廃港の危機にあります。空港廃港のスローガンが現実のものとなろうとしている」と基調報告をする萩原富夫さん。


「動労千葉は反対同盟のみなさんと車の両輪として闘ってきました。コロナ情勢下で分割・民営化体制は完全に破綻した事が明らかになりました」と連帯の挨拶をする動労千葉関道利委員長。


会場からの万雷の拍手の中挨拶する市東孝雄さん。

   「私は、天神峰で小作で農業をやってます。しかし小作でもそこで生きていく権利はあると思います。正しいものは正しい、そして嘘はつかないという事でこれまでも無農薬で野菜を作ってきました。全国で国策と闘っている人達、動労千葉をはじめとする労働者のみなさんと団結して、これからも三里塚で闘っていきます。」
 

動労水戸の木村委員長の発言。

「動労水戸はこれまで福島第一原発事故後の常磐線全線開通反対、被曝労働拒否の闘いを続けてきました。この3月にJR東日本は全線開通させました。非常に残念です。しかし被曝労働をめぐる闘いはこれからが本格化します。JRの労働者が放射能に汚染される、この事をめぐって私たちは職場での闘いを推し進めていきます。水戸支社では、水戸線のワンマン運転拡大が狙われています。
この事態は車掌を全面的に廃止していく突破口と考えています。これに対する闘いも職場の声を結集して労働者の力で止めるというたたかいを作り出していきたいと思います。

 また、動労水戸は反対同盟の闘いに学んで7月から、反対同盟つぶし・市東さんの農地取上げに対して産直野菜を購入しようと呼びかけをはじめました。
 戦争と改憲というこう攻撃の中で、労働者・農民一体となったたたかいをすすめていきます。」

 
(木村委員長は隔週車で産直野菜を受け取りに赴き野菜作りを手がけているみなさんと交流をしています)


(動労水戸の組合員は、市東さんから頂いた落花生を栽培し、収穫の時期を迎えました)



 


常磐線全線開通反対で水戸市内集会とデモ

9月23日付東京新聞朝刊茨城版で報道されました。

9月22日「高線量地帯に列車を走らせるな・水戸集会&デモ」にご参加を

既報の通りですが、9月6日の動労水戸団体交渉での水戸支社の対応は、「常磐線全線開通ありき」で、乗務員、清掃・洗浄、検査・検修の労働者や乗客の皆さんの安全など考えていないものでした。許せません。

22日の水戸集会のことが、18日付け東京新聞朝刊(茨城版)に掲載されました。



常磐線全線開通問題は、大きな社会問題です。原子炉が爆発し、メルトダウンした原子力発電所の脇・高線量地帯に列車が走ることなど、世界にも類例がないことです。もっともっと声をあげていきましょう。

当日の集会では、冒頭にビデオ上映があります。これは、夜ノ森駅、大野駅、双葉駅周辺の放射線量調査をした最新の映像です。いずれも帰還困難区域にあるため、駅には近づくことが出来ませんでしたが、可能な限り近くによって測定しました。実行委員会の有志の行動です。是非ご覧下さい。

皆さん、22日12時半開場・午後1時開始、水戸駅北口・水戸駿優教育会館8階ホールに集まって下さい。

新しいチラシが出来ました。

9月22日(日)の「常磐線の全線開通は安全か? 水戸集会」に向けて、実行委員会のチラシが出来上がりました。
午後1時開会、水戸駅北口駿優教育会館8階ホールが会場です。
第一部はパネルディスカッション、動労水戸と福島の医師、そして、いわき市の畜産農家の方がそれぞれ語られます。また、第二部では、東海第二原発再稼働反対の訴えをはじめ、原発再稼働とたたかう現場からの発言があります。集会は、午後3時頃まで。
集会後は、水戸市内をデモ行進する予定です。
職場で仲間に声をかけて、今からでも常磐線の帰還困難区域への延伸(全線開通)を止めていきましょう。




痛みのある失敗とK544の被爆労働許否

「失敗から学ぶことの大切さ」と言われますが、この国では失敗した人に厳しいですね。

失敗した人の責任にすれば、安泰な人たちがいるからです。

戦争を始めた責任、そして負けた責任を誰かに取らせて安泰だった人たちが日本の政治を支配して来なかったでしょうか?

これに対し労働者は、日々の仕事の責任を取りながら生きています。


 (ありし日の415系の検査)

動労水戸は、2011年3月11日の大震災と福島第一原発事故で、広野に放置されたK544の「安全確認無き運用」に反対しました。

当時は「奇跡の電車」の運用に反対しているのはおかしい、K544がかわいそうだ。という意見もありました。

しかし、私たちは労働者と労働組合の責任において怯まず安全確認を求めたのです。

勝田車両センターでは、電車の交番検査などの定期検査や臨時の検査、修繕などを行っています。


 (交番検査が行われる検修庫。)

415系は廃車になりましたが、国鉄時代からの古い車両は、検査も大変でした。交直流電車は、屋根上も床下も器機が多く複雑です。

しかも夏場、検修庫の中は40度にもなります。

制御器(パワーコントロールユニット)担当者は「PC屋」と言われていました。絶縁検査(車体への漏電を防ぐ検査)のための碍子研きから始り、制御器の接点の点検と研きまで休み無く動くことになります。

415系は、モーターの配列と抵抗で制御します。その制御をカムを回しながら変えて行きます。

そのカムを回す小さなモーターがあり、そのモーターは板バネで押さえられたカーボンブラシから電源を得ます。

ある時、あまりに暑くそのカーボンブラシの点検を「大丈夫だろう」とはしょってしまいました。

その電車は、検査から一月ほど経って線路上で動けなくなりました。その原因を一緒に究明して行く中で、自分の検査ミスにあることが分かりました。

バネで押さえられているから「大丈夫だろう」という甘さが故障事故を生んだのです。深い後悔と自責の思いが、痛みと共に刻まれました。大変な失敗です。

そこからより厳しく、自分を見つめる様になり、当たり前の様に仕事やって来た仲間の苦労や凄さも分かる様になったのです。


 (勝田車両センターの夕暮れ。右側が検修庫です。)

K544。「安全だ!」「放射線測定の必要は無い」と言い張る会社に対して「安全を確認しないなら検査をやるべきでない」と毎日点呼で追求し、ストライキを構えました。

職場のみんなの声に押されて、ようやく放射線を測定した結果、抵抗器を冷やすための送風機の外気取り入れ口のフィルターから空間線量の3倍に及ぶ線量が検出されました。

「PC屋」が担当して、高圧エアで付いた埃を吹き飛ばす部分でした。担当者はその埃を吸う、そして吹き飛ばされた埃は周辺に拡散します。

JRは、そのフィルターを密かに外し隠してしまいました。

根拠無き安全宣言を行い、不都合な真実は隠す会社と国。しかし、私たち労働者が失敗から学んでいることは「この程度で良い。」と言うことは無いと言うことです。

自分に厳しいからこそ言えることがある。言うべきことがある。そう言うことだと思います。

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プロフィール

HN:
動労水戸
性別:
非公開
職業:
鉄道労働者
自己紹介:
【国鉄水戸動力車労働組合】
1986年結成。JR東日本・JR貨物とその関連会社の労働者で組織する労働組合です。

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